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熱帯夜に飛行機事故の旅の思い出にふけって
2014年7月23日 水曜日 晴れたり曇ったり

 二十四節気 大暑(7/23~8/6)は、まさにすごい暑さだった。
ベランダの朝顔は、朝充分に水やりしたのに午後早くにはもうぐったりし始めてしまった。
困った困った、、、、。

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(朝一番はメリルでガラス越しに朝顔を、、、)

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(午後になっていよいよ葉が黄色くなってきて、、、)
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(蝶々がやってくるのだが、すぐにいなくなるので、ガラス越しに撮るのはむずかしい)
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 寝しなに、台湾で台風の影響もうけてか飛行機が着陸失敗して多数の犠牲者がでたというニュースが入った。
   <日経速報メール◆台湾で旅客機墜落、47人死亡>

 その昔エールフランスに入社したばかりの頃に整備部に大竹さんという寡黙な部長さんがいらした。
その方はいつも飛行機は着陸時が一番こわい、とおっしゃってらしたことを思い出した。
その頃私は羽田のエールフランスの事務所で働き始めたばかりだった。
都心からの高速道路ができたばかりの頃で、その開通にはブルーバードファンシーデラックスで
自分でハンドルを握って一番乗りをしたものでしたころの事。

 飛行機事故は、新しいテクノロジーが開発されて機種の名前が変わっていくエポックの時期に
多く起こっているような気がする。
ボーイング関係の飛行機事故で忘れられないのは、入社してすぐの1966年の2月、3月に起こった
連続航空機事故。1966年2月にボーイング727-100型機の全日空羽田沖墜落事故で133人全員が死亡し
単独機として当時世界最悪の事故となった。
そしてこの年この後にはボーイング707の航空機事故が相次いで発生していたのだ。
カナダ太平洋航空のダグラスDC-8が羽田空港の濃霧のなか着陸に失敗して大破炎上した
着陸失敗事故が起こったのは三月。
“着陸失敗、炎上だ”という声に事務所を飛び出して、はるか向こうに火の柱をみたのをよく覚えている。

その頃の制服姿の写真は
http://keico.exblog.jp/9187764/
2009年11月1日 日曜日 曇り
☆回想のわが巴里>凱旋門に励まされての遠いパリの日々

http://keico.exblog.jp/10956716/
2010年7月10日 土曜日 曇り後晴れ
曇天にベランダ彩る黒揚羽

 私自信も何百回という飛行機の旅で、着陸の怖さを経験したことは何度もあった。
右肺から真っ赤な火を噴いていてアンカレッジ空港の近くの小さい軍用空港に戻ったのは、
まだモスクワ経由ももちろん直行便もない1960年代後半のこと。

http://keico.exblog.jp/7821613/
2009年1月16日 金曜日
米旅客機がハドソン川に不時着水 乗客乗員155人無事に感涙

 アラブゲリラの仕掛けた爆弾が不発に終わったが、その機に乗り合わせていて緊急着陸したローマの
フミチーノ空港での経験は1970年代初めの頃、パリ駐在の初期の空港勤務のころだった。
(この頃はパンナム機爆破とかつづいて起こったのだ)

詳しくは下記のブログに
http://keico.exblog.jp/6042978/
2007.08.23 木曜日  青い朝顔は五輪かな
旅での波瀾万丈の出来事いろいろ

 南回りがあったころのこと、
日本の赤軍の岡本こうぞうが乱射事件をおこしたすぐ後のテルアビブでのこと。
なにかの事情で、私はパリから南回りに乗ることになった。
途中から揺れに揺れて、稲光が光り雷雨があったりして、なかなか到着しない、、、。
どうしたのかなと思っていたら、片脚が一本落雷にあって壊れたというアナウンス。
え〜〜そんな、、、心配していたが、なんとか片肺着陸で無事に着いたが、
機の修理にはボーイング社から機材を運ばねばならず、その空港で何時間も待つことになった。
http://keico.exblog.jp/7072885
2008年5月3日 土曜日 雨のち曇りのち少し晴れ 
旅の記憶にーーテルアビブ

 メカトラのあと足が出ずに不時着同然だった冬のヴァンクーヴァーは、スキーの旅の帰りだった。
数日空港に缶詰になって何人もの人が病院に運ばれたりしたのは多分1980年代初めかしら?

 香港カイタック空港に台風を押しきってただ一便だけ着陸成功の便に乗っていた機にのっていたのは、
1982年あたりだろう。
空軍のパイロットだった機長が、何回かの旋回のあとカイタック空港閉鎖の直前に着陸を試みたのだ。
左側の席に座っていた私。風雨の中を進んでいた機が突然に90度左に曲がった。
突然先方にあの細い香港のカイタック空港の滑走路が一瞬間見えたような、、、。
うわ〜〜〜と目をつぶったのはどのくらいだったろうか。
まもなくタッチダウンで、がたんがたんガタガタアアア、、、、、機内から一声に拍手が起こった。
誰もが恐怖におののいていたのだ。

事故遭遇のいろいろの体験は下記のブログに

http://keico.exblog.jp/17169714/
2013年1月16日 水曜日 曇のち晴れ
ボーイング787の事故と半世紀弱の旅の思い出

 “初めての旅で事故に遭う人もいるのに、何百回乗っていても生き残っている人もいるのね”と、
知人から言われたことがあった。
生かしていただいているに違いないこの命なのだ。
もう少し大切に生きていかねば、、、、と熱帯夜の夜にしみじみと、、、。


〜〜〜〜〜〜〜
http://www.youtube.com/watch?v=aF3o2nzAoEY&feature=relmfu
Air France: la flotte d'hier et d'aujourd'hui [fr]
郵便船の頃のプロペラ機から現代までの飛行の映像があって楽しい。



Air France Boeing 777-300ER [en]



by pretty-bacchus | 2014-07-23 23:59 | ♪JourneyAbroad海外旅の思い | Trackback | Comments(0)
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