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ボーイング787の事故と半世紀弱の旅の思い出
2013年1月16日 水曜日 曇のち晴れ

 <全日空ボーイング787から煙 高松空港に緊急着陸  バッテリー不具合を表示>
のニュースは、
やはりと言う感じでほんとうに怖い!

機内から煙が発生し高松空港に緊急着陸し、乗客乗員計137人はエアーシューターで降りて全員無事というが、、、。
その後高松空港はしばらく空港を閉鎖したというがそういう問題ではないいような気がする。
操縦室の計器がバッテリーの不具合を示しパイロットが異臭を感じての措置としたら、
それは妥当だったろうが、、、。

 ボーイング787。ドリームライナーといわれるBoeing 787 Dreamlinerは、
ボーイング社の次世代中型ジェット旅客機として注目されて一昨年暮れから世界中の空に飛び始めた。
ボーイング757、767、777の後継の中型機としては航続距離が長く、今までは大型機でないと飛行できなかった距離も
この787を使うことにより直行が可能になると話題になった二十一世紀の新航空機。
燃費効率に優れ、ANA、JALとも2011年に就航させこの機の導入を経営計画の柱に位置付けていた。
(もと先輩からもいろいろ情報が届いていた)

 この機種の特徴はいろいろあるだろうが、燃費を20%も節減できて大量輸送ができるのは、
新しいテクノロジーを使ってのことで、それは電子機器=コンピューター制御のハイテクのノウハウが
いろいろありそのことも話題となっていた。
それを操る人間=機長やコパイの訓練はどこまで行われたのだろうかと、友人達と話題になったこともあった。
すでに一年前には、友人からのメールで
<Tuesday, February 07, 2012 7:45 AM
Subject: 部品不具合発覚に納期ベタ遅れ 新機種ボーイング787にトラブル多発 (J-CASTニュース) - >

 そのボーイング787が暴れ出したのだ。
今の旅では飛行機は絶対に落ちないと言われているが、もし電子機器が全て動かなくなり計器が全て作動しなくなったら、
どんなふうに飛行してどんな方法で空港に入り着陸を成功させるのだろうか?
考えただけでも怖ろしいが、そんなことを心配して飛行機に乗る人は皆無なのだろう。

 去年のアメリカのニュースで、いくつかの事故が話題になっていたし、日本でも一、二のニュースで
小さな問題を報じていたし、先週もボストンでJALの便が問題を起こしたとがあったように記憶している。
それが今日、羽田に向かっているANA機が、機体の異常を知らせるメッセージが出て高松空港に緊急着陸。
電気室の一部に漏れがあり、乗客はエアーシューターで高松空港の地上に降りたという。
その後の調べでバッテリーから電解液が漏れていることが確認されたというが、
もはや初期不良とはいえず早かれ遅かれ起きる事故だったのだろう。

今回は機長の的確な判断で乗客乗員が全員ご無事で、事故が大事にいたらなくて本当によかった。
日本のいくつもの優良会社のパーツが多く使われているこの機種だが、原因を徹底究明して
一刻も早い解決をのぞみたいものだ。

 飛行機事故は、新しいテクノロジーが開発されて機種の名前が変わっていくエポックの時期に
多く起こっているような気がする。
ボーイング関係の飛行機事故で忘れられないのは、1966年の2月、3月に起こった連続航空機事故。
1966年2月にはボーイング727-100型機の全日空羽田沖墜落事故で133人全員が死亡し
単独機として
当時世界最悪の事故となっていた。
そしてこの年この後にはボーイング707の航空機事故が相次いで発生していたのだ。

カナダ太平洋航空のダグラスDC-8が羽田空港の濃霧のなか着陸に失敗して大破炎上した
着陸失敗事故が起こったのは三月。
“着陸失敗、炎上だ”という声に事務所を飛び出してはるか向こうに火の柱をみたのを覚えている。

(その頃私は羽田のエールフランスの事務所で働き始めたばかりだった。
都心からの高速道路ができたばかりの頃で、その開通にはブルーバードファンシーデラックスで
自分でハンドルを握って一番乗りをしたものでした)

 (その頃の制服姿の写真は
http://keico.exblog.jp/9187764/
2009年11月1日 日曜日 曇りのブログへ
☆回想のわが巴里>凱旋門に励まされての遠いパリの日々

http://keico.exblog.jp/10956716/
2010年7月10日 土曜日 曇り後晴れ
曇天にベランダ彩る黒揚羽

 そして翌日の1966年3月5日に発生した、英国海外航空(BOAC)機の空中分解の航空事故。
世界周航便のボーイング707が富士山付近の上空で乱気流に巻き込まれ空中分解したもので、
乗員乗客全員が犠牲になる大惨事だった。 
(その時私はオフの日で、橋の上の車の中でこのニュースを聞いていたのだ)
羽田空港が濃霧で閉鎖されたため、福岡空港へとダイバートしていて羽田空港への到着は一日遅れの
911便は20時間以上の遅れで離陸したのだ。

英国海外航空機空中分解事故
http://ja.wikipedia.org/wiki/英国海外航空機空中分解事故
このウィキペディアにその惨事の模様が詳しく載っている。
〜〜〜〜〜〜〜〜
<機長がなぜ有視界方式により富士山近傍を飛行しようとしたのかは未だに判然としないものの、
ホノルルから羽田へのフライトは濃霧(前日のカナダ太平洋航空機事故の一因となった)による
ダイバートにより福岡空港へ着陸後、当日朝に羽田に再度向かったため、
出発が20時間以上遅れていたことが判明している。
そうした点から下記の要因が推定されている。
飛行距離を短縮させて早く次の目的地に到着したかった。
アメリカ人の団体観光客が多かったため、乗客に富士山を見せたいと思った>
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この年にはこの後、日本航空羽田空港墜落事故、全日空松山沖墜落事故が続いたのであった。

 それなのに、その羽田空港から、私はこの年の初夏にボーイング707で南回りで、
三十六時間ほどかかって巴里への旅に向かったのだ。

http://keico.exblog.jp/14105309/
2011年12月4日 日曜日のブログへ
☆ Memoires du Voyage ~なつかしの羽田空港から巴里へ出発

ボーイング787の事故と半世紀弱の旅の思い出_a0031363_2312310.jpg
エールフランスのパリ>東京路線一番機が羽田空港に到着したのは1952年11月26日という記録があり、
(私はまだ小学生だった)ボーイング707が南回りで経由でパリへと飛んだのは1961年で、
東京 - 香港 - バンコク - カルカッタ - カラチ - クウェート - カイロ - ローマ - フランクフルト -
パリという南回りのエールフランス便だった。
その頃は飛行機は限られた人たちの旅への手段だったのだ。


ボーイング787の事故と半世紀弱の旅の思い出_a0031363_23163499.jpg

























 1960年には、北回り便(北極圏飛行ルート)に、B707ジェット機が就航。
所要時間はさらに短縮されて18時間になった。
その後大阪万博の年の1970年1月には、東京-パリ間にモスクワ経由のシベリア線が開設されて、
所要時間14時間30分となった。

 1972年4月には、ボーイング747が東京-パリ間に就航し、いよいよ大量輸送時代が始まり、
日本からのグループがパリを訪れるようになり始めたのだった。
東京-パリ間にノンストップ便就航したのは1986年。所要時間12時間と短縮されて現在にいたっている。


http://keico.exblog.jp/14339545/
平成24年1月4日(水) 晴
前世紀のエールフランスの食器と天馬


http://keico.exblog.jp/14105309/
詳しくは2011年12月4日 日曜日のブログに
☆ Memoires du Voyage ~なつかしの羽田空港から巴里へ出発

 その頃、私のパリの駐在員時代の1970年代初めには航空機の事故に加えて、
アラブゲリラがしかけた爆弾でパンナメリカン機が空港で破壊されたり、
貨物室の扉の閉めわすれたエアーインディア機が離陸直後にルソー眠るエルムノンヴィルの林に脱落など
航空機事故が相次いだ。
(この事故では知人のご子息が亡くなっている。私が最初で最後にあってから数時間のことだったのだ)

JALのモスクワ空港シェレメーチエヴォでの離陸直後墜落事故が1972年(昭和47年)11月だった。
その時期にも沢山の飛行機事故が起こっていたのだった。

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その間に 21 january 1976, Air France introduced the supersonic Concorde !

 そして1985年には、あの金属疲労が原因での、あの御巣鷹山での大惨事。

http://keico.exblog.jp/8804714/
| 2009-08-12
日航ジャンボ機墜落事故から、今日でで丸24年

 しかし2009年には、機長の素晴らしい判断で厳冬のハドソン川に不時着したが。
全員が無事という事故もおきたのだった。
http://keico.exblog.jp/7821613
米旅客機がハドソン川に不時着水 乗客乗員155人無事に感涙
2009年1月16日 金曜日

http://www.youtube.com/watch?v=aF3o2nzAoEY&feature=relmfu
Air France: la flotte d'hier et d'aujourd'hui [fr]
郵便船の頃のプロペラ機から現代までの飛行の映像があって楽しい。


Air France Boeing 777-300ER [en]

私自身も四十数年らい数百回という乗客としての旅の経験の中でなんども事故に遭遇しているが、
こうして元気に今を送っているのはきっと奇跡に近いことなのだろう。
60年代の尾翼が燃えてのアンカレッジ近くの米軍空港への緊急着陸、

70年代初めには搭乗した機にアラブゲリラが仕掛けた爆弾が不発に終わったローマでの事故。
そして落雷を受けてのテルアビブ空港への片翼着陸、
80年代の、足が出ないで何度か離着陸を繰り返し72時間もヴァンクーヴァーの空港に缶詰にされたスキーツアー。
82年のあの細い香港のカイタック空港の滑走路が一瞬間見えて消えた時のこと等など。
どれも熟練の機長による活躍で大事に至らなかったったという。

http://keico.exblog.jp/6042978
2007.08.23 木曜日 事故の思い出

http://keico.exblog.jp/7072885
2008年5月3日、旅の記憶にテルアビブのこと

 飛行機事故はあとをたたないが、最近では現代機器により飛行機は落ちないとまでいわれるように
なってきたが、その精密機器を操るのは<人間>なのだ。
とても怖ろしい時代になってしまったのかもしれない。

 飛行機の思い出はあまたあるが、一緒に仕事をした忘れられない多くの人たちの中に大竹さんもいる。
その当時整備部長であった大竹さんは、トラフィックとかカーゴとかの部長さんと同じように
寡黙で仕事が出来る方だった。
おそらくまだ週に数便だけの巴里>東京>巴里の就航だったろうが、パリからの到着便の時には、
事務所や整備場で待つのではなく、彼はいつも飛行機の着くランウェイでじっと到着を待っていた。
それからが整備の仕事であるのに、彼はいつも真剣に機の着地を見守っていた。

まじめな方だなと思っていたが、東京ではあまりお話しする機会がなかった彼と、
ある日パリのエールフランス航空本社のスタージュ(トレーニング)のおりに偶然お話しをする機会があった。
その事を私が話すと、彼は
“今の飛行機で一番危険と思うのはアテリサージュなのです”
“アテリサージュ?” その時は私はまだこのフランス語すら知らず、離陸がデコラージュ、
着陸がアテリサージュだと覚えたのはこの時だった。

そして彼は、“到着後、限られた時間で整備をしっかりしても、飛行中にいろいろ起きてくるでしょう。
飛行を終えて最後に無事に空港の土をふむアテリサージュまでが整備士の仕事なのです。
私はいつも祈りながら到着する機を見ているのです”
とつとつと語った彼の言葉を、もう四十年も前のことなのに、わたしはなぜかはっきりと覚えている。
まだお元気でいらっしゃるのだろうか、、、。
~~~~~~
 飛行機の中から撮った写真は沢山あるのに、飛行機を撮った写真は意外に少なく、
かろうじて707と747はこのブログにあるが、787をとったものは皆無。

http://keico.exblog.jp/5914771/
写真の整理で 旅の記憶を ひもといて

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(雨の中に落とされ忘れられたバゲッジはパリの空港?)













http://keico.exblog.jp/15505582/
2012年6月5日 火曜日 曇り
初代のデジカメFUJI FinePix4700Zで撮ったイタリアの旅

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(2000.12.09 pm2:28 パリ>ミラノの便の搭乗口で、、、)


http://keico.exblog.jp/14228306/
2011年12月20日 火曜日 雨上がり その二 機内にて 
☆回想のわが巴里の街〜帰りの機内にて

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 静かな日本の風景や空港に離着陸する<飛行機>を秀逸なタッチでお撮りになるノリさんが、
今日のブログで787を載せていらした。
 <事故が大事に至らなくて、乗客乗員のみなさんがご無事で本当によかったです>と祈りを込めて、
お送りいただいた直近の<空の夢の787>をアップさせていただきました。

日本もアメリカも原因がわかるまで飛行禁止にしたので、
しばらくはこの雄姿をみることができないのでしょう、、、。
ノリさんありがとうございました。

http://dukesaloon.exblog.jp/17636470/
duke days
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 (クリックして大きくするとANAと787がよく見えます)


 〜〜〜〜〜〜
 両親の時代から現代まで、ブルーベリーやiPhoneでのチェックインまで,
ティケットの歴史がおもしろい。
L'histoire du billet de 1933 à 2012 - The history of the air ticket from 1933 to 2012
http://www.youtube.com/watch?v=E7VAbSqywiY&feature=relmfu

~~~~~~~ いろいろ思い出  ~~
~~~~~ 
http://keico.exblog.jp/1745419/
2004年 6月 21日 月曜日
ロマネスクへの旅の誘い

http://keico.exblog.jp/1596968/
2005.01.29
空元気の麗人と いわれて、、、

http://keico.exblog.jp/5485974/
2007.04.26
つづき、オンリーイエスタディーMemoires du Voyage-Arabu

http://keico.exblog.jp/5626037/2007.05.22火曜日 晴れ
想い飛ぶリラの花咲く巴里のころMemoires du Voyage-Paris

http://keico.exblog.jp/6553465/
2007年12月12日 水曜日 晴れ後曇
フランス大使館の昼食会へのお招き

http://keico.exblog.jp/6042978/
2007.08.23 木曜日  青い朝顔は五輪かな
泳ぎ切り 若者眩し 夏の宵

http://keico.exblog.jp/7072885
2008年5月3日 土曜日 雨のち曇りのち少し晴れ 今日は三回目
旅の記憶にーーテルアビブ

http://keico.exblog.jp/7821613/
2009年1月16日 金曜日
米旅客機がハドソン川に不時着水 乗客乗員155人無事に感涙

http://keico.exblog.jp/9180761/
2009年10月30日 金曜日 晴れ
☆回想のわが巴里>>暗い朝に冬のグレーの空のパリを思い出して

http://keico.exblog.jp/10437146/
2010年4月16日 金曜日 曇り時々雨、みぞれで寒い
る花散るを忘るるみぞれかな

http://keico.exblog.jp/10987807/
タヒチへ1973年の写真
誕生日に宇宙よ友よありがとう!
2010年7月15日 木曜日 曇り

http://keico.exblog.jp/11525410/
借景も小さな秋や二つ三つ >>借景も小さな秋の二つ三つ
2010年11月4日 木曜日 晴れ

http://keico.exblog.jp/10926746/
平成22年7月05日(月) 晴れ
炎天のローマの想い時越えて

http://keico.exblog.jp/12897874/
2011年6月15日 水曜日 曇り
梅雨の間にいにしえのふみそっと見て>>梅雨深しいにしえのふみそっと見る

http://keico.exblog.jp/12936763/
2011年6月21日 火曜日 晴れたり曇った
巴里の夢回転木馬ごとごとと

http://keico.exblog.jp/13185825/
2011年8月1日 月曜日 曇り
思い出の昔のパリを簡易スキャニングして
1993年の銀塩を何枚か

http://keico.exblog.jp/13224030/
2011年8月6日 土曜日 晴
1980年代後半からの旅の思い出いろいろ

http://keico.exblog.jp/14109860
2011年12月8日 木曜日  曇りのち雨 
☆回想のわが巴里の街1965~1973 ー忘れられない事

http://keico.exblog.jp/14176788/
2011年12月16日 金曜日 雨雨雨の巴里 その三
☆回想のわが巴里の街 ~ルーヴル美術館の思い出1995

http://keico.exblog.jp/15971810/
2012年8月13日 月曜日 晴れ
第三十回の近代オリンピック・2012ロンドンが終わった







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by pretty-bacchus | 2013-01-16 23:58 | ☆JourneyAbroad海外の思い出 | Trackback | Comments(5)
Commented by k7003 at 2013-01-18 03:20
片桐敬子さんでなければ書けない、この濃密精緻な航空機記事、ブログで終わっていいはずはない、断じて。
NHKよ、朝日新聞よ、、、誰か動いてよ〜〜〜〜〜
無力な自分が歯がゆくてならぬ。
(>_<)
Commented at 2013-01-18 06:32 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by pretty-bacchus at 2013-01-18 18:19
NKさんこと倉谷直臣さま、
過分なるコメントをありがとうございました。
いっけん華やかに見られがちな私の人生ですが、
超ドラマティックなアップ&ダウンの波瀾万丈、何度もの青天の霹靂の一生は、日本経済の右肩上がりの時期に仕事に生きた女性としての新しい形であったと思います。
学校時代、エールフランス時代、フランスの貴族達との交流、そして身内の会社の成功と挫折など、おそらく女性としては何人分もの人生を歩んできたように思います。
でもそれらを私は後悔していませんし、正々堂々と胸を張って愉しんでいたふしもあります。

前世紀最後の頃に、ある編集者から興味を示されたことがありましたが、自然消滅してしまいました。
編集者がついていけない世界が多かったのでしょう。
過去の日本人では味わえなかった<事実は小説よりも奇なり>を、地で歩いてきたかもしれませんもの。

>>>字数制限のため次に続く、、、
Commented by pretty-bacchus at 2013-01-18 18:21
<<前にコメントバックからの続き、、、

しかし、今このウェブ時代になり、こうして少しだけでも思い出にひたりながらいろいろ書き残しておけるのは時代に合った幸せなことだと思っています。
テレヴィの番組になっても、本として出てもいずれあっというまに消えゆくものでしょうし、
ウェブすらもそうでしょうが、時代と共に生きてきた私は今<この時代>の発表方法にゆだねて少しだけ思い出話を時々ご披露したいと思っています。

貴方が個展もプリントも出版も固持なさり、写真発表をブログの世界だけとした<粋な心>と共通する魂を、私も見習いとも思っています。
ウェブ時代だからこそ生まれたこの友情も大切に暖めていきたいです。

多大なるご理解と応援を、時には涙しながらいつも心から感謝しています。
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

Commented by pretty-bacchus at 2013-01-18 18:21
ノリさん、ありがとうございました。

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