☆回想のわが巴里の街1980~1990 〜メリディアンチェーン
2011年12月13日 火曜日a0031363_21252852.gif
☆回想のわが巴里の街1980~1990

 70年代最期に大きな手術を受けた後、1981年の三月に突然辞表を出した。
あ^〜これで、あまりストレスもなくゆっくり出来る〜〜〜。
しかしそうはいかなかったのだ。

 この時期はジャンボがどんどん飛びはじめ、日本からの海外への出国者が500万人をこえたばかりだった。
航空会社がホテルの経営に乗り出したのもこの頃だった。
JALのJALホテルシステム、そしてエールフランスのホテルメリディアンチェーン。

 ホテルメリディアンチェーンはエールフランスの100%子会社としてパリに設立されていて、
第一代代表の原滋さんが二年でしりぞかれて、その後がまに、こともあろうか女の私にお鉢が回ってきたのだ。
本社はパリで、まだホテルも二十ほどしかなく発展途上にあった。

とても無理だし女だし(当時はそういう時代でした)と辞退を重ねたのだが、人事部長におしきられた。
あなたしかいない、、、パリを知りホテルを知り業界を知っているのは、、、などとおだてられて、、、、。
説得の話が続いて、冬なのに、何時間も座っていた椅子が汗びっしょりになった。

 家に帰って相談したら、連れ合いはなんと
「面白い経験だからしてみたらいいよ、とのたまわったのだから、もうびっくり!
かなり跳んでいたカップルだった(のだろう)
(その十年前パリ駐在員に出た時も、そう言ったのだ)
そして当時としては全く異例の逆単身赴任で、私は多くの人に万歳で送られて羽田空港を発ったのだ。

 ~~~~~~~~~~~

 突然に放り込まれたホテルチェーンの仕事の辞令を受けて、数日後にはパリの本社で面接を受けていた。
マレスコ社長の最初の質問は、「今度のミッテラン政権をどう思いますか? であった。
日本語だって答えられない内容なのに、フランス語で言えるわけはないではないか、、、、って思いながら、わからないままに、
「機内の新聞で読んだのですが、フランスに新しい風がふくのではないでしょうか、、、
というような答えをした。
これがよかったのだと、かなり後から聞かされた。
フランスのチェーンのそれも国営会社の代表として仕事をするときに、
政治的なことは自分の意見をあまり言わない方がよいらしいことも後で教えられた。

 早速に出席したパリ本社の会議でも目を白黒ばかりであったが、
誕生したばかりのフレンチタッチと優雅な内装やアメニティー、そしてホスピタリティーを売りにして
世界中に進出しはじめた
<憩いの場所>の仕事におもしろさを感じ始めたのだ。
日本航空のJALホテルシステムも同じ時期に出来ていた1981年のことである。

 さっそくに世界各地のホテルを訪れてのマーケッティング。
日本人客を送るためのプロモーションプランを作っていった。
この時に、今まで泊まってみていたヨーロッパの四つ星ホテルでの経験がとても役に立ったことはいうまでもない。
パリの本社では、女性が大勢活躍していた。
ミリアム・ルールというチャーミングな女性が私の直属の上司で、その上に男性達だったが、
ここではハラスメントなどなかったし、和気藹々の会議であり発展途上のホテルの仕事だった。
今思うと古き佳き時代で、思う存分仕事をすることができたと思っている。

 中近東にもホテルは進出していた。
しかし、中近東の仕事は少々勝手が違っていた。
パリやニューヨークや東南アジアならともかく、中近東は今でもそうだが、当時女性が、
それも日本女性が一人で出張に出かける地域ではなかった(と思う)。
黒いスーツと黒いアタッシュケースを新調して、ビザを取って、一人旅立ったのは
81年のクウェイト、シャルジャ、アブダビのリサーチだった。

当時現地にはすでにインターコンティホテルも、ヒルトンホテルなどがあった。
アブダビとシャルジャのメリディアンは出来たばかりであった。
現地のホテル全部を訪れて、その施設とホスピタリティーとかのソフトを含めてみて歩き、
日本人の目で見て本社にレポートを書くのも仕事の一つだった。
(今のようにPCは進歩していなかったから、帰国してからタイプを打ってレポートを書くことになる)
それらのホテルと比較して、メリディアンのホテルをどういう風に販売促進していったらよいかを
研究しなければならなかったのだ。
五十度近い炎天下を現地スタッフと一緒に何日かを歩いたものだ。(もちろん車で)

 ホテルチェーンとしては当時は珍しかった女性の日本人の駐在員を送ることにしたのもこの後だった。
翌年の三月にはアブダビメリディアンで大きなレセプションが行われた。
当時の現地の新聞が残っているので、いつもとってもなつかしく思い出している。
(THE GULF NEWS 、1982年3月13日 土曜日のアブダビの新聞)

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なんと細かったか〜〜〜
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  あのころグーグルアースがあったら、旅はもっと楽しかっただろうな〜〜〜

ドバイ、アブダビ、シャルジャのホテルの紹介で、アラブ首長国連邦のホテルメリディアンチェーンの
オープニングパーティーに出席して私は着物姿で日本語と英語で挨拶をした。
外務省からの中山大使や日本航空の有賀さん、現地の商社の方々も出席してくださった。
鹿島建設のの石川六郎さんもいらしたと思う。
ホテルのオーナーはアラブ人だが、ケンブリッジをでたナイスガイで、引き連れていた女性たちの美しかった事がとても印象に残っている。

 なんと翌日は、「こんなことは始めてだ! と現地の人々が驚いたほどの大雨で、シャルじジャへの砂漠が水で溢れていた。
そして翌日私はまた一人で隣国クウェートへ旅立ったのだ。
なつかしい〜〜〜。

 ホテルメリディアンチェーンは、その当時発展途上にあって次々を世界中にホテルを建設し始めていた。
知名度ゼロのフランスのホテルにいかに日本人を送るかも私の仕事だった。
パリやツールやニースが比較的うまく運び出した頃に、クウェート、アブダビ、ドバイ、シャルジャとつづき、
やがて香港、シンガポール、スリランカ、アメリカではニューヨークのパーカーメリディアン、ヒューストン、
ボストンとたてつづけにオープンした。
それぞれのホテルを訪ねて販促のプラニングを進めていった。
東京にも業務提携のホテルができた。(パシフィックメリディアン)

 その後も海外への出張は続いた。
フランスの本社の多くは女性が活躍していて、日本人だからなどといってはいられらなかった。
ホテルメリディアンチェーンの60カ国のインターナショナルミーティンがあると、
その代表の三分の一は女性だった。
髪の毛を何十本もの細い三つ編みでかざったアフリカの女性もいた。
ある時などは、一週間ニースのホテルにカンズメで朝から晩まで会議会議で、夜はオフィシャルディナーがつづき、
朝遅れたりすると、その人のポジションが次にはなくなるといわれていたほど厳しい会議だった。

(その時期くらいから、世界中で女性の進出がはじまったのかもしれない。
日本では女性が23時以降働くのが禁止されていた時代で、男女均等法なる法律ができたのは、
その数年後だった)

 それから六年間私は休む事なく世界中をまわることになった。
航空会社で足があり、ホテルで宿があるということは、多くの可能性を持っていた、
マーケティング&セールスには飽き足らずに、日本とフランスの文化交流にも多くの時間をさいた。

 朝日新聞事業部とか阪急とかとのお手伝いで新しい旅の形をクリエートしていった。
ジャックメドゥサンが市長の頃に、ニースでの<日本伝統工芸週間>を花野さんと造りあげたときには、
母がお茶とお花のお弟子さんを引き連れて手伝ってくれた。

 東京ではエールフランスのオフィスの一部屋で、少ないスタッフで私は365日休み無し
、毎日真夜中まで頑張った。
夜景のおじさんが一時間おきに回ってきてくれるのがとても心強かった。

 海外出張は年十数回、パリ、ニューヨーク、香港エトセトラ、その後のレポート提出、エージェントさんへの営業、接待、、、
海外からのお客様との会議などで私はほとほと疲れ始めていた。
東京オフィスは、アジアパシフィクオフィスをカヴァアーする重要なオフィスとなり、
さらに発展の時期にあり、なんと<アジアパシフィック代表>というそのポジションをほしがる男性が
何人か出てきたのだ。
それと共にセクハラ的な言動も出てきた。

 ちょうど六年がすぎたある日、私は突然辞表をだした。
それもPAC=プランダクションコメルシアルという年度始めのエールフランス本社支社、子会社を含む戦略会議で、
フランスの本社からも何人ものおえらさんが出席していた年に一度の会議でであった。
辞表を用意していたが最後まで逡巡していてのだが、
やはり自分を抑える事が出来なかった。(若かったのだな〜〜〜)
当時の女性としては年収、地位は最高だったろう。
引き留められたが、決心は変わらなかった。
会場となった箱根のホテルの帰り道は雪で覆われ、富士山がことのほか綺麗だったのが、
昨日のことのように思い出される。

〜〜〜〜〜〜〜

 突然体中の力が抜けた。そしてその二日後に入院して大きな手術を受けた。
多分ストレスと過労とかいろいろで、私のお腹の中には大小18個もの腫瘍ができていて、
四時間半の手術を受けて、その全てを摘出したのだった。
「あと二日遅れていたら腸内で爆発して命がなかったかもしれないですよ、
と麻酔が切れるまで付いていてくださった、主治医の高山先生は微笑んでいた。
そして先生は母には、「強いんですね、とおっしゃったそうで、
母は大変な手術に耐えて強い子だったと思ったのだが、先生は麻酔がなかなかきかなくて、
お酒がツヨイのですね、、、、という意味だったらしい、、、、。

 大変であったが、しかし充実した二十三年間の仕事人生だった。
エールフランスのパリ駐在員の四年間と、メリディアンへ出向の六年間をふくめて、
二十三年の年月は、時代と共に燃焼した若さの時代だった。
「女性の進出の先駆けでしたね、キャリアウーマンのスターでしたね、
と多くの方が言ってくださるが、別にそれを意識していたわけではない。
その時代に与えられた、そう、ありがたくも与えられた仕事を必死で頑張り通しただけなのだ、、、。
それは多くの人々の支えがあったから出来たことなのだろう。
そして家族の理解があったからなのだ!

 あの時代に突っ走った経験があるからこそ、今の私が、今の友が、長く続く世界の輪が、
現在の喜びも悲しみもあると思っている。
オンリーイエスタディー であるような錯覚に陥るが、もう四半世紀もまえになるのだ。

 多くの方から惜しまれて一つの第二の仕事人生に終止符をうった。
ゆっくりした人生を送ろう。晴耕雨読の人生をと考えていたのに、しかし私の激動の人生、
ドラマティックな人生が、まだまだつづくことになるとは神のみぞ知ることであった。

 辞めた87年の晩秋に大きな事件に突然巻き込まれた。
いまでいう<村木事件>にも似た摩訶不思議な事に巻き込まれたのだが、
友人の輪が助けてくれて大事にはいたらなかったのだが、心痛はひどかった。

〜〜〜〜〜〜〜

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そして今日の巴里、
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今日の巴里 13 December 2011 Paris>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

a0031363_10131032.jpg (マドレーヌ寺院の正面ファサードの上部をバスの中から)

a0031363_10143181.jpg(13 December 2011 pm4:27 Paris, La Seine à Pont Alma )

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(13 December 2011pm5:27 Paris , Pyramide du Louvre)





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2007.04.26のブログ
つづき、オンリーイエスタディーMemoires du Voyage-Arabu
by pretty-bacchus | 2011-12-13 23:57 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(8)
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Commented by yuki at 2011-12-15 11:42 x
おはようございます。
  Paris 、楽しませていただいております。

  ことしのシャンゼリゼのイルミネーションはちょっと寂しいようですね。
  A・F の25周年パーティーの着物。 斬新な柄で素敵です。

  まだ、痛みがお有りの様子、ご無理なさらないでください。
Commented by Hologon158 at 2011-12-15 12:07
毎日、息を呑んで、固唾を呑むようにして、拝読。
まさに1人の人間として考えられる一番大きな振幅、スケールでの、
波瀾万丈の人生ですね。
それに耐えうるだけの精神力、才能、器量が備わっておいでになるのでしょう。
これからも、まだまだ人生が続きます。
幾度もの大手術を乗り越えてこられたことも含めて、
これだけの精神史を歩んで来られたのですから、
pretty-bacchusさんの人間としての存在基盤はとても重厚。
これからも、ふさわしい人生をこれからも創造して行かれるだろう、
そう確信します。
そのためにも、パリでは、燃焼しきるのではなく、
これからの人生のための新たなエネルギーを蓄積していただくようにお願いします。
Commented by 四谷おやじ at 2011-12-15 19:38 x
すごい、すごい働き、仕事ぶり、とても信じられません。その上の大手術本当に信じられません。これからの人生大いに楽しんでください。
Commented by K7003 at 2011-12-15 19:56
考えられる限り最高のキャリアを経て今日があるのですね。健康に恵まれての収獲の秋でありますように。無宗教の私ですが、敬子さんのご健康を、神にでも仏にでも真摯に手を合わせて祈ります。
GOOD LUCK, YOU DESERVE IT!
Commented by pretty-bacchus at 2011-12-15 23:27
yukiさん、コメントをありがとうございます。
今年のシャンゼリゼはほんとうに寂しい気がしますね〜〜〜〜。

パリで貴方の京都の写真を拝見するのは、なんとも楽しいモノなのです。
舞子ちゃん、芸子さん、みなさんおきれいで美しいで寸ね。


Commented by pretty-bacchus at 2011-12-15 23:33
Hologon158さん、コメントをありがとうございます。
たしかにあの時代の女性としては、初めての経験をいろいろさせていただいた人生のような気がします。
神から与えたれたに違いない歓び悲しみ苦しみであったのでしょう。
それらに果敢に挑戦してきたのかと思うと、神の手のなかでもがいていたのかと思うと、
不思議なおもいがいたします。
これからの人生はどんな脚本ができているのか、こうなったらとことん神様に振り回されることにいたしましょう、、、、。

Commented by pretty-bacchus at 2011-12-15 23:34
四谷おやじさん、ありがとうございます。
人生も友あり、家族ありですね!

Commented by pretty-bacchus at 2011-12-15 23:39
K7003さん、祈ってくださってありがとうございます。教育者として多くの優秀な女性を育てられた貴方に、こうして祈っていただける幸せにパリで手をあわせています。
そしてうれし泣きをしています、、、、今日も雨なのですのに。

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