☆回想のわが巴里の街1965~1973 ー忘れられない事
2011年12月8日 木曜日  曇りのち雨a0031363_21252852.gif 

 かなり寒くなってきたようだ。
朝窓をあけると気持ちがいい。

今日の約束が延期になって、ぽかっとあいた一日。
なんだかその昔のことがいろいろ思い出されている、、、、、、、、。
オルリー空港での仕事、シャンゼリゼ大通り121番地での仕事、、、、etc,etc.
あの頃は若かった〜〜〜〜! そして今m、、、、、
どうやら今回は追憶の巴里になりそうだ。

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 海外での初めての職場のオルリー空港の仕事の中は忘れられない事が山ほどある、、、、。
ようやくパリにも仕事にも慣れはじめた1970年のはじめに祖母がなくなった。
祖母が倒れたとき、敬子は大事なお仕事でパリにいるのだから知らせないようにといっていたのだそうだが、
弟が見るに見かねて電話をくれた。
ちょうど日本に一時帰国する頃だったので、許可をいただいて日本に飛んだ。

 駆けつけた病院では祖母は、もうほとんど臨終状態だったが、
“敬子ですよ、、、パリから会いに帰ってきましたよ、、、、”
と言うと、しっかりと私の手を握りかえしてこたえてくれた。
その夜に彼岸に旅立った。
倒れてから21日がたっていたという。私の帰りを待っていてくれたのだ! 享年88才。
母の母、加藤もんは、武家の血を引く庄屋さんの娘で、とても優秀な女の子で、明治の頃なのに、東京の女学校にすすんだという。
人力車にのって日傘をさして麹町の高等師範の女学校に通ったそうだ。

お嫁に行ったのが加藤家で、遊び人でも人情家の庄屋のようなお爺さんは、
町になかった消防団をつくったりして、いろいろご奉仕ばかりで、家を守るお婆さんがとっても苦労したことは、
ほんの数年前の母との京都の旅で母から聞いたことがある。
しっかりしたおばあちゃんだった。

 戦後しばらくして母の実家で暮らしていた私たちだったが、大勢の若い衆や女中さんがいて賑やかなお家だった。
まだ時代が日本中苦しい頃で、真夜中にお米や穀物を盗む泥棒が入るのだが、それが誰かわかっていても、
“あそこは大変だろうから、見てみぬふりを、、、”と祖母がいって、捕まえなかった事があってよく覚えている。
おそらく1950年代はじめのことだったろう。
(このあたりは、叔父 加藤哲夫の本に詳しくある、、、)

 その年で忘れれないのは、1970年11月25日の日本での事件。
オルリー空港のカウンターで、フランス人が
“keiko〜〜〜〜〜〜〜Mishima est mort”と叫んだのだ。
三島 由紀夫が割腹自殺をはかったのは1970年(昭和45年)だった。
その頃はまだインターネットはおろか、日本語も新聞もパリにはなかったから、
次の便で日本から着いた新聞をむさぼり読んだものだった。

 そして、70年代初めには、アラブゲリラの爆弾事件が多発して、
パンナメリカン航空の爆破、ルフトハンザのエルムノンビルへの墜落事故(これでは知人のご子息が亡くなった)などが
続いて、航空業界ばかりでなく社会は大騒ぎとなっていった。

 四十数年の間に、私は乗客として、何百回の飛行機に乗っている。
いくつもの危ない飛行機事故にも遭遇している。
明らかにバードストライクとみられる事故に遭遇したことがある。
まだ、東京パリ間に直行便もモスクワ経由のない時代のこと。
ジャンボが就航したばかりだったかな?
アンカレッジを飛び立ったすぐあとに、右エンジンから発火、
まもなく近くの空軍基地に緊急着陸したことがあった。

 その後も、アラブゲリラが爆弾をしかけた機に乗っての不発に終わったパリ>ローマ便、
テルアビブでの事故機の経験、嵐の香港でたった一機到着成功の時は死ぬかと思ったのは1982年ごろ、
この時のパイロットだったのは元空軍の機長だったとのことだった。

 カナダのヴァンクーバー空港で、胴体着陸で72時間缶詰で出たり入ったり、、、。
などなど、、、

http://keico.exblog.jp/6042978
2007.08.23 木曜日 事故の思い出

http://keico.exblog.jp/7072885
2008年5月3日、旅の記憶にテルアビブのこと

http://keico.exblog.jp/7821613
米旅客機がハドソン川に不時着水 乗客乗員155人無事に感涙 2009年1月16日 金曜日


 そして、1971年春には、仕事場はシャンゼリゼ大通り121番地のエールフランス航空の二階の
<日本人応接係=チケッティングカウンター>に移っていた。
ここで、今で言うパワーハラスメント的なつらさにあって、毎日メトロを降りてのほんの数分の道を、
偉大な凱旋門をみて二年間通ったのだった。

 母が日本からきてくれてたのもこの頃だった。
父も一緒にと何度もすすめたのだが、その分、母を何度でも連れて行ってやってくださいと、頑として腰を上げなかった。
母とはその後もイタリアやスイスへも旅を共にすることができた。

 連れ合いのご両親が揃って来て下さったが、仕事を休めずに、
いろいろご案内できなかったことが今でも悔やまれてならない、、、、

 いろいろのパリを、いまこうして巴里で思い出しているというのは、なんとも不思議な気がしてしまう、、、、、、!
人生の浮き沈みの波を乗り越えて、今こうして冬の巴里に存在する自分に、なんともいえぬ恍惚感と不安感を覚えている。

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そして今日の巴里、
08 December 2011 Paris

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(08 December 2011 Paris Lancel のショーウィンドー
ブリジットバルドーも若かった、でも今は、、、、嗚呼!))

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(08 December 2011 Paris
Cafe de la Paix 通りすがりに腹カメラでノーファインダーでカシャッ!
巴里の中年男性ってかっこいい人がいるな!

この機種とレンズは実によく巴里の空気と光と風を映してくれる、、、)
 
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>続きは次へ、、、、、、、、

今日の巴里、08 December 2011 Paris >>>
by pretty-bacchus | 2011-12-08 23:58 | ♧JourneyAbroad海外2011 | Trackback | Comments(4)
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Commented by F at 2011-12-09 19:04 x
どんなにか大変なミッションをおってのパリだろうに、いつもこうして
楽しんでいるあたたはすごいと思う。

Commented by 婆美以 at 2011-12-10 03:30 x
これだけの回数の搭乗、色々の遭遇をされて、ご無事というのは強いご意志と運の賜物でしょうね。
私はパリを大好きでも実は飛行機が怖いのです。父が飛行機で亡くなったのがトラウマみたいで、、。敬子さまのブログが我が専用機ということでしょうか~!
お風邪は大丈夫でいらっしゃいますか?パリの街角、行き交う人々の画像に目を凝らしています~!
Commented by pretty-bacchus at 2011-12-11 01:45
Fさん、ありがとうございました。
いろいろありの人生ですね。

Commented by pretty-bacchus at 2011-12-11 01:46
婆美以さん、ありがとうございます。
お父上様、そうでしたか、、、、存じませんでした。

生かされているということの重みをかみしめてまいります。

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