梧桐やそよ風そより土鳩啼く
2010年6月8日 火曜日 曇り

 アオギリの葉がすっかり大きくなってそよいでいる。
もう何年も前から花はつけないが、葉を付け始めるまでは瘤こぶで威厳を保ち、
葉が大きくなると葉だけでも気品があるような気がする。

 どんよりとした一日だった。
イタリアとフランスとのメールのやりとりでちょっと忙しい一日だった。

 眠たくて眠たくて、、、、どうしてしまったのだろう。
春眠でないのに、夏眠暁を覚えず、といったら孟浩然も怒るだろうな、、、。

 < アオギリに微風そより土鳩鳴き >>梧桐やそよ風そより土鳩啼く

 < アオギリや花無くもなお気品あり


(写真は後で、、、、、、)
by pretty-bacchus | 2010-06-08 23:59 | ◐Nature空,海,夕陽,緑花,鳥蝶 | Trackback | Comments(5)
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Commented by funny-girly at 2010-06-10 01:22
バッカスさま・嫌な季節到来のようですね。お元気そうで何よりです。
友人から「キャットニップル」って草花の鉢貰いました。5匹の大きなネコ達匂いを嗅ぎに寄ってきてました。写真撮れなかった。
Commented by 郁子 at 2010-06-10 16:12 x
瘤の樹の異名を取った事も、今や昔。アオギリという本来の名で、すっかり愛でられるようになりました。
タイトル句は、敬子さんのそうした思いが如実に表れた苦心作ですね。
この句の添削に際し、図鑑や歳時記でアオギリの事を改めて色々と調べてみました。
その結果はっきりした事は、アオギリ(青桐・梧桐)は「初夏、淡黄色の雄花と雌花が混じった花序をなす」にも拘わらず、歳時記では、花とは無関係に「梧桐」という夏の季語として載っていることです。
例えば「桐」はそれだけでは季語をなさず、「桐の花」で始めて夏の季語になります。多くの樹が「~の花」で季語になるのですから、梧桐が樹そのものだけで季語というのは特例的ですね。
思うに、梧桐は「葉が桐に似て、樹皮が鮮緑色であることからこの名がついた」とあるように、<葉こそ命>故のいきさつからでありましょう。
また「青桐」より「梧桐」の表記が好まれるのは、「桐一葉落ちて天下の秋を知る」が中国書のアオギリ・「梧桐」の字句に拠っているからだと、推測されます。(つづく)
Commented by 郁子 at 2010-06-10 17:03 x
(上よりつづく) 上記ではアオギリの詮索だけで字数が尽きてしまいました。然しその事をしっかり踏まえておかないと、添削が出来なかったのです。
さてアオギリの季語上の在り様を前提として考えると、タイトル句は、苦心作ながら俳句として成り立ち難い事になります。
文末の2句の中、最後のも同じで、唯一「アオギリに微風そより土鳩鳴き」のみが俳句として成立していると言えます。
そこで、表記を少し変え(中7はそ~・そ~の頭韻を明示)、据わりをよくする為、結句を終止形にします。そしてこれをタイトル句にしたら如何でしょう?
タイトル句のテーマである「花がなくても気品があって、アオギリの葉は好きだ」という複雑な気持は直接詠まれていないとしても、アオギリは元々葉が愛でられ、詩歌にも詠まれてきたので、下記の句でも敬子さんの気持は伝わると思いますよ。そよ風や土鳩によって。

梧桐やそよ風そより土鳩啼く
Commented by pretty-bacchus at 2010-06-11 19:43
funny-girlyさま、お久しぶりです。

検索で「キャットニップル」みてみました。
おもしろいですね、、、、

Commented by pretty-bacchus at 2010-06-11 19:50
郁子さま、こんばんは。いろいろ調べていただいて恐縮です。
梧桐という夏の季語があるのですね。

この借景の庭のアオギリの木は、年々葉の茂りも少なくなっています。
もっとも上のほうしか見えませんから、近いうちに通りから右に回ってまた右にぐるっとまわって(家から5〜6分もかかるのです)下からどんな風になっているのか見に行ってみようと思っています。

いつも本当にありがとうございます。

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